観光情報 羽鳥湖高原周辺プレイスポットのご案内
羽鳥湖高原の広大な自然の中にある本格的アウトドアライフが満喫できる総合レジャー施設。オートキャンプ場、温泉、レストラン、テニス、フィッシング、カヌー、マウンテンバイクなどが揃っている。
水源確保に難渋していた白河・矢吹地域への開拓を促進するため昭和16年より国直轄事業とされ、流域変更を行い阿武隈川水系への農業用水供給を図るため、水源として計画されたダムである。
広大な敷地内に再現された英国館。ヴィクトリア朝のインテリアで統一されたエントランスホールや英国の文献、図書などのコレクションが並ぶ書斎など、本物にしか存在しない荘厳さと暖かさがある。
「道の駅」羽鳥湖高原は福島県の中通り南部に位置し、白河市と会津若松市の中間で県道37号(白河羽鳥線)の終点地点にあり、羽鳥湖高原の玄関口となっている。自然と調和したやすらぎの場。
世界各国から集められた美しいグラスウェア25,000点を展示し、年間来場数は30万人を超える日本最大級のガラス専門店。磐梯山の水で作られる国際ビール大賞金賞の猪苗代ビールや会津の地酒も。
野口博士が一歳半のとき、運命の火傷をした囲炉裏や決意を刻んだ床柱が当時そのままに保存されている。また、図録やオリジナルグッズの販売も。1954年福島県登録博物館の第1号となる。
戦国期には当地に葦名氏の「黒川城」があり、蒲生氏郷が1592年に甲州流の縄張を用いて郭を築き、7層の天守閣、櫓をたて、馬出を作ったと伝えられる。地名を若松と改め城を鶴ヶ城と命名した。
白虎隊の墓が山中にある。昔は正栄寺や宇賀神社、さざえ堂などの景勝地として知られていた。松平容保の歌碑を始め、数多くの石碑が建てられている。今も白虎隊の墓前は香煙の絶えることはない。
宿場町としては全国3番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定、また国指定史跡に指定される。また、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を創りだした塔のへつりも圧巻。
今から約200年前、白河藩主松平定信公が飢饉に備え白河の気候に合った作物として、冷害に強い「そば」の栽培を奨励。
これが、白河の麺文化の始まりとも言われている。
澄んだ水と醸造のまち喜多方産の醤油を使ったコクのあるスープと太いちぢれ麺が特徴の喜多方ラーメン。
人口55000人余のこのまちに、なんと100軒以上のラーメンの店がある。
標高が高く、昼夜の寒暖の差が大きな気候と、朝霧のたつ清流沿いの耕地に栽培されており、そばどころ会津の中で山都のそばは特に美味しいと言われている。そば資料館もあり本格的なそばの町。
羽鳥湖高原の広大な自然の中にある本格的アウトドアライフが満喫できる総合レジャー施設。オートキャンプ場、温泉、レストラン、テニス、フィッシング、カヌー、マウンテンバイクなど楽しめるための色々なアイテムが揃っている。
また、レジーナの森には、レイクサイドダイニング“ラピーナ”と和食メインのお食事処“板小屋”の2つのタイプのレストランも併設。また、春〜秋の期間限定で、“カフェブレド”では焼きたてパンを楽しめる。
犬と一緒に楽しめる施設も充実しており、ペット好きにもオススメ。
羽鳥湖高原 レジーナの森
【住所】福島県岩瀬郡天栄村羽鳥湖高原
【アクセス】白河ICから約30分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】羽鳥湖高原 レジーナの森
【問い合わせ先電話番号】0248-85-2525
四季折々に自然の美しさを見せ、大きな注目を浴びている羽鳥湖高原は、ここ天栄村に位置し、高山植物や野鳥、昆虫の宝庫として知られている。
鶴沼川をせき止めて造られた羽鳥湖は、土堰堤造りの湖では日本一と言われ、周囲16Km、最大水深31.2m、総貯水量2,700万立方mの人工湖。水不足に悩む矢吹ヶ原一帯のかんがい用及び発電用として、鶴沼川をせき止め約15年の歳月をかけて昭和31年に完成。
以来、村を代表する豊かな自然のシンボルとして親しまれている。
「羽鳥湖」の名前の由来は、ダムを造るにあたってダムの底に沈んだ羽鳥集落からつけられており、現在では、湖周辺はサイクリングロードやオートキャンプ場などが次々と整備され、リゾートエリアとして、注目を集めている観光スポットの一つ。
羽鳥湖
【住所】−−−
【アクセス】白河ICから約30分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】天栄村役場
【問い合わせ先電話番号】0248-82-2111
福島県・羽鳥自然公園の、海抜1,000メートルの森に位置するブリティッシュヒルズ。7万3000坪の広大な敷地には、マナーハウス(英国荘園領主の館)、クラフトハウスや12世紀から18世紀にいたる建築様式のゲストハウスがあり、中世英国の「町」の雰囲気を楽しむことができる。
施設内の通路や広場の名称をはじめ建物、インテリア、家具、調度品などすべて時代考証に基づき、中世英国様式を再現。建設にあたり英国の会社に設計を委託し、建築資材は全て英国から取り寄せ、「本物の空間」の再現にこだわった本格的な英国アミューズメント。
ブリティッシュヒルズ
【住所】福島県岩瀬郡天栄村 大字田良尾字芝草1-8
【アクセス】白河ICから約40分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】ブリティッシュヒルズ
【問い合わせ先電話番号】0248-85-1313
「道の駅」羽鳥湖高原は福島県の中通り南部に位置しており、白河市と会津若松市の中間で県道37号(白河羽鳥線)の終点地点にあって、羽鳥湖高原の玄関口となっている。
羽鳥湖高原には、羽鳥湖と様々な観光資源と多様な観光施設と宿泊施設がありシーズンを通して楽しめ、四季折々の自然に親しめる。 駅はその中にあって、自然と調和したやすらぎの場となる施設。
直売所では、村特産の健康野菜「ヤーコン」やヤーコン茶、ヤーコンうどん等の加工品と日本の伝統保存食品である凍みモチ等の村の特産物も販売している。また、食堂では名物の山菜そば、ヤーコンうどん(かけ、ざる)等を食べることが出来る。
道の駅 羽鳥湖高原
【住所】福島県岩瀬郡天栄村大字田良尾字芝草1-3552
【アクセス】白河ICから約40分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】道の駅 羽鳥湖高原
【問い合わせ先電話番号】0248-85-2547
世界各国から集められた美しいグラスウェア25,000点を一斉に展示し、年間の来場数は30万人を超える日本最大級のガラス専門店。館内では希少なアンティークグラスから普段の生活で使用できるガラス製品まで幅広いラインナップで訪れた人に驚きや感動を与える。普段は見ることのできないガラスの神秘的な美しさを堪能できる。ビールの本場ドイツの原料と磐梯山の澄んだ水で作られる国際ビール大賞金賞受賞の猪苗代ビールや、会津の地酒、希少なスイスワイン、おみやげに最適なケーキやおかしを豊富に取り揃え、食べる楽しみも充実。
世界のガラス館 猪苗代店
【住所】福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字村東85番地
【アクセス】会津若松ICから約20分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】世界のガラス館 猪苗代店
【問い合わせ先電話番号】0120-72-7472
博士が一歳半のとき、運命の火傷をした囲炉裏や上京するとき決意を刻んだ床柱が当時そのままに保存されている。
「志を得ざれば再びこの地を踏まず」
1928年5月21日、野口英世博士が西アフリカで殉職したのち、東京でも追悼会が行われ、その折りに出席した人々により「野口英世博士記念会」を設立する話がまとまりまった。記念会の最初の事業として、翌年に生家の保存と二つの記念碑を建立、そして1938年には、文部大臣より財団法人の設立が許可され、その翌年の博士の命日には念願の「野口英世記念館」が開館しました。この間、1928年、30年の二回にわたりロックフェラー医学研究所やメリー夫人から多くの博士の遺品や関係資料が送られてきました。さらに遺族を初めとするいろいろな関係者からも資料が寄せられて、これが所蔵資料の礎をなしています。1954年には、福島県登録博物館の第1号となり現在に至っています。
野口英世記念館
【住所】福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字前田81(三城潟)
【アクセス】猪苗代磐梯高原ICから約5分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】野口英世記念館
【問い合わせ先電話番号】0242-65-2319
会津若松市のシンボル鶴ヶ城。数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名なこの城は現在、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。また 城の周りに広がる公園は石垣や桜が美しい、市民にも人気の高いスポットとなっている。
鶴ヶ城
【住所】福島県会津若松市追手町1-1
【アクセス】会津若松ICから約15分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】財団法人 会津若松市観光公社
【問い合わせ先電話番号】0242-27-4005
鶴ヶ城を南西に見下ろす小高い山の中腹には、一年中香華こうげのたえることのな白虎隊士19名の墓がある。白虎隊は、戊辰戦争のおり 藩主の親衛隊として組織された、15歳から17歳の少年たちからなる若い隊でした。 その後15歳は除隊となり16歳、17歳の編制となった。1868年8月22日、滝沢本陣で指揮をとっていた松平容保は、西軍進攻の知らせを受け、白虎隊40名に出陣を命じ、少年たちは初陣に胸躍らせて戦場へと 向かい勇敢に戦うが、力及ばず退却。すでに20名となった少年たちは 疲労と空腹に耐え、猪苗代湖の水を会津へと通していた戸ノ口堰洞門をくぐりぬけ、飯盛山へと やっとの思いでたどりつくが、ここで炎に包まれた鶴ヶ城と城下を目前にし、いさぎよく藩主に殉じようと自刃を決意。20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなった。白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞は、春と秋の年二回行われる墓前際で、飯盛山の19隊士墓前で奉納される。
飯盛山
【住所】福島県会津若松東栄町3-46
【アクセス】JR会津若松駅から約5分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】会津若松市観光課
【問い合わせ先電話番号】0242-39-1251
大内宿
大内宿は会津若松と日光を繋ぐ会津西街道又は下野街道と呼ばれる街道の宿場町。江戸時代に入り街道が整備されると会津西街道は会津藩や新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視された。
又、大内宿は回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていた。しかし、明治維新後は街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が現象し衰退していった。
この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となり昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていった。その後、時代が下がるにつれて大内宿にも近代化の流れが訪れ、道路の舗装化や金属板葺きの屋根、アルミサッシなどが目立つようになったが、古い町並みが残っている事で1981年に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定される。
現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつありる。
塔のへつり
大川羽鳥県立公園、大川ラインの一番の景勝地。
なんと、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を創りだした。
初夏、藤の花と白い岩肌の織りなす眺めは、まさに一幅の名画となっている。
大内宿/塔のへつり
【住所】福島県南会津郡下郷町弥五島下夕林5319
【アクセス】会津鉄道 塔のへつり駅から約10分
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】下郷町事業課産業振興班商工観光係
【問い合わせ先電話番号】0241-69-1144
今から約200年前、白河藩主松平定信公が、飢饉に備え白河の気候に合った作物として、冷害に強い「そば」の栽培を奨励。これが、白河の麺文化の始まりとも言われている。当時「そば」は、米を食べることのできない庶民の主食として「そば雑炊」や「ぶっかけそば」等として食べられていた。また、この頃白河で開催され、日本三大馬市として栄えた「白河馬市」で「そば」を出したところ、集まった多くの仲買人から賞賛を得て「馬買った?・・・美味かった!」とかのクチコミで、白河は全国有数のそば処の一つと言われるようになり、「そば」を打つ技も次第に向上することとなった。その後大正時代には、白河で最初のラーメン店(当時は支那そばとワンタン)が現れた。ラーメンは手打ち麺のしょうゆ味で、その縮れ麺とスープの製法は現在の製法に酷似していると言われ、今、ほとんどの白河ラーメン店のメニューにワンタンがあることなどからも、この店が白河ラーメンのルーツの一つと言われている。
白河ラーメン
【住所】−−−
【アクセス】−−−
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】白河観光協会
【問い合わせ先電話番号】0248-22-1147
澄んだ水と醸造のまち喜多方産の醤油を使ったコクのあるスープと太いちぢれ麺が特徴の喜多方ラーメン。人口55,000人余のこのまちに、なんと100軒以上のラーメンの店がある。これだけあれば、やはり各店が味を競って美味しい「喜多方ラーメン」ができようというもの。麺は、ほどよくゆであげたコシのある太めのちぢれ麺で、全店に共通。個性的な持ち味のスープは、口あたりのよいあっさり風味あり、こってりと煮込んだ濃厚スープありで手作りのチャーシューも魅力。
喜多方ラーメン
【住所】−−−
【アクセス】−−−
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】喜多方観光協会
【問い合わせ先電話番号】0241-24-5200
そばどころ会津の中でも、山都のそばは特に美味しいといわれている。それは、標高が高く昼夜の寒暖の差が大きな気候と、朝霧のたつ清流沿いの耕地に栽培されていること。又、そばの中でも一番美味しいといわれる(一番粉)を主に使用してつなぎを一切使わないそば粉100%のコシが強く透明感のある手打ちそばならではの味。
山都町そば
【住所】−−−
【アクセス】−−−
【WEBサイト】
WEBサイトを見る【お問合せ】−−−
【問い合わせ先電話番号】−−−